寒い、と幸村は呟いた。どうにも最近やる気が起きない。だからだろうか、もうすぐ5月だというのに東京の人々はコートやマフラーを付けているし吹く風はまだ肌寒い。
「去年の今頃はフェーン現象で全国の学生が体育館での集会で地獄を見ていたと言うに」
ぼんやりと電線の上に座りながら、幸村はため息を吐く。白く濁った息は、今が4月下旬ということが嘘のようだ。

幸村は春である。つまり人間ではない。だから電線の上で座っていても誰に見られる訳もないし、こうして仕事をサボっていても咎められることもない。
しかし、そろそろ本気を出さないとまずい。北風の噂では、東北の方で雪と桜がコラボレーションしてしまったらしい。どう考えても幸村の影響だ――東北は管轄外だが、日本の気象は主に東京担当の力が強いのである。
これ以上サボっていては、いくらなんでも怒られてしまう。
「父上は怒ると怖いし……だが、どうしてこんなにもやる気が出ないのだ」
幸村は腕を組んで首を傾げた。いつもならば、花粉を撒き散らしてそこらじゅうを暴れ回ってJR各線のダイヤを乱す風を吹く元気くらいあるのだが。
「何か外的要因があるのだろうか……一度政宗殿のところへ相談してみるか…?」
夏の季節を司る男はまだ眠っているかも知れないが、このやる気の無さは異常だ。貴殿の出番も無くなってしまうやも知れぬ、と言えば話くらい聞いてくれるだろう。
――機嫌が悪いと、台風に見舞われてしまうが。
よし、と思い飛び立とうとしたとき背後から声が聞こえた。

「真田の旦那!何処へ行くんだい?俺様まだ挨拶もしてないって言うのに!」
振り返ると、見たことのない男が電線の上に立っていた。ふわふわと橙色の髪の毛が風に靡き、迷彩柄のポンチョもはためいている。
だが、幸村はこの男を知らない。それなのに相手は、幸村のことを知っているようだった。
「……解せぬ、俺はお主のことは知らないというに」
目の前の男が、何らかの季節を司っているのは分かる――そうでなければこんなところにいない――が、長い間東京を見守ってきた幸村でもこの男の顔には見覚えが無かった。
「ああ、うん。俺、今年から東京配属になったんだ!アンタに惚れてさ、小太郎に頼み込んで…」
そういえば最近小太郎の姿を見ていなかった、と幸村は思い返す。1月の下旬頃、早起きしすぎた幸村は冬の男がいないことに気付いたのだが――そのため1月下旬は春並の陽気の日が続いていたのだが、余談である――3月頃からまた寒くなったので、戻ってきていたのだろうと勝手に思っていた。
小太郎は滅多に姿を現さぬので、それが普通だと思ったのだが。まさか人員が変わっているとは思わなんだ。しかも挨拶に来るのが遅すぎる。

「もうそろそろ…お主は休んで良いのだぞ」
というか休んで貰わねば困る、と幸村は眉をひそめた。
「旦那に心配して貰えるなんて……嬉しい!」
いやいやそうではなくて、と幸村は腕を伸ばすが男はそのまま言葉を続けてしまう。行き場のない腕を幸村は戻す気力もない。
「俺は佐助。元々は山形の冬担当だったんだけど、ちょっと東京に様子見したときにアンタに惚れちゃって……今年から東京担当になりました」
行き場の無かったてのひらをぎゅう、と握られて幸村は頷くことしな出来なかった。
「でも山形から此処まで遠くってさ、しかも俺様シャイだからなかなか挨拶に来られなくて……仕方ないから旦那のパワーを頂いてました」
「……は?」
「本来、俺はこの時期になったら眠らなきゃなんだけど……旦那の力を貰えばなんとか起きていられるの。最近やる気が出なかったのは、そのせい」
此処に来て随分経つが、世の中は解せぬことばかりだ。
「俺様とセックスしてください」
「……は?」
真っ直ぐ瞳を見つめてくる男の言葉に、幸村は硬直した。それは、佐助が冬の力を持っているという理由だけではない気がする。

「えっと……いくらなんでも今日初めて会ったのにせ、せっくすなど……」
幸村はどちらかと言えば好色だ。春はそういう季節だし、そういう行為とてそれなりに経験はある。
だが、いくらなんでも今日初めて会った男に身体を預ける程、貞操観念が無い訳はない。
「ですよね……」
しどろもどろに答えたのは良いのだが、佐助は一気にしょんぼりしてしまった。それと同時に、強い北風が吹く。
このままでは、また異常気象だの神様が怒っているだの言われてしまう――怒っている訳ではなく、やる気がないのだと言えれば良かったのだが、そういう訳にもいかなかった――だろう。
幸村は慌てて佐助の名を呼んだ。
「此方を向いてくれ」
「……?」
泣き腫らした瞳が、じっと幸村を映している。
「そういうことは……まだ出来ぬが……」
佐助の頬にそっと口付けて。
「今はこれで我慢してくれぬか」
「え……え、え…」
ふわふわの髪の毛をそっと撫でて、佐助の耳元でそっと囁く。
「俺も、お前に惚れてしまったようだ」

「だ、旦那……!」
ぱあああ!と今までの北風が嘘のように、佐助の周りに花が咲く。
「あああん…俺様、幸せすぎて死んじゃいそう!」
「……」
死んでしまっては困るのだが、死なないことは分かっているので幸村は何も言わない。
「もうちょっと旦那のお傍に居て良いですか?」
勿論、断れるはずもなく。
頷いてしまった幸村に佐助が嬉しそうな表情を浮かべながら飛び付いた。
「……はは…」
父親に叱られること間違いなしな展開に、引きつった笑みを浮かべながらも幸村は佐助の身体を受け止める。
その日、東京は昨日までの寒さが嘘のように暖かくなった。

――だが、まだまだ冬は東京に居座るつもりのようである。


三寒四温!

あまりにも毎日が寒すぎてカッとなりました。