日課である鍛練を終えた幸村は、一息吐くために縁側に座っていた。菓子を頬張るためである。
「はい、旦那。お菓子とお茶」
ことん、と盆ごと置くのは女中でも小姓でもない。しのびである佐助だ。
「すまない、有難う」
佐助も座れと隣をそっとてのひらで叩く。木の独特の音がした。


「じゃあお言葉に甘えて、っと」
ちょこん、と隣に座る佐助を見て幸村は安心した。
常ならばしのびだから駄目だの何だの煩いが、今日は幾分か素直である。
手元にある菓子―豆大福を一口頬張る。口元が白く染まるが気にしない、どうせ見えるところには佐助しかいないからだ。
外側のもちもちした食感と、内側の甘い餡子の相性は抜群である。上田の城下町でも有名なそれはいつでも幸村の舌を満足させた。無論、理由がひとつだけではないことを幸村は知っている。


「やはり佐助が用意したものは美味いな」
そう、この目の前に居るしのびだ。
彼が用意すると菓子は十倍、百倍もの甘さを発揮する。
要するに、他の者が用意したものとは比べものにならぬ程美味いのだ。
「そう?たれがやろうともおんなじですよ」
しのびはくすくす笑うが、彼が間違っていることは幸村が一番知っている。
何せ目の前に答えがあるのだ。


「そんなことない」
幸村好みの甘くてぬるい茶を一気に飲み干す。
ずず、と些か下品な音を立てた主に佐助は軽くたしなめた。
暫く他愛ない話をしていた二人であったが、不意に幸村がそういえば……と呟いた。
「お前の笛の音が聞きたい」
佐助は思わず、は?と聞き返す。だが返ってきたのは同じ言葉だった。
しのびは感情を露にすることなかれ、と教わったが佐助は驚かざるを得なかった。
幸村がそんなことを言うことは無いに等しいからである。
そして同時に笛を久しく吹いていないことを思い出した。


「俺の稚拙極まりない笛なんか聞いてもつまらないから、もっと素晴らしい音を奏でる方をお呼びしましょう」
そう言って佐助はやんわりと断ったが、幸村は激しく首を横に振る。
「おれは、佐助の笛が聞きたいのだ」
一度それと言い出せば梃子でも動かぬ主を誰よりも知っているのは佐助だ。
やれやれ、仕方ないなあと思いながら頷く。
「では今宵お部屋まで参ります」
「うむ、今夜は執務があるゆえ遅くまで起きておる。頼むぞ、佐助」
はい、と佐助は再び頷いた。



最後に笛を聞かせたのはいつだったろうか、なんて考えながら佐助はそれの手入れをしていた。
もしかしたら、まだ主が弁丸と呼ばれていた頃かも知れぬ。
あの頃は一人では眠れない、と駄々をこねる主に笛を吹いて眠らせていたものだった。
初陣を終えてから、何処か大人びてしまった―と言っては聞こえが悪いかも知れぬが―幸村が佐助に笛を吹けと命じることは無かったと思う。
何故今頃になって……と思うがそれを尋ねられる身分で無いことを一番知っているのは誰でもなく佐助だ。
試しに吹いてみる。以前と全く変わらない音色が耳の奥まで響いた。



「佐助、下りてこい」
約束した時刻より少し前から天井裏で忍んでいると、室内から声をかけられる。
「やれやれ、相変わらず動物並の感覚をお持ちなのですね。しのびの面目丸つぶれだよ」
「たれでも分かるという訳ではない、佐助だから分かるのだ」
「それは喜んで良いのか否か分かりかねますね」
言いつつ、佐助はすっと幸村の背後に姿を現した。
「俺の前では手加減しておるだろう、知っておるのだぞ」


些か言葉を強める幸村、だが怒ってはいない。
「加減をしている訳ではないけれど……まぁ、確かにお仕事のときよりは意識を殺していないかも知れませんね」
「手加減するな」
「そんな無茶言わないでよ」
くすくすと、佐助は僅かな音を立てて笑う。幸村は持っていた筆を置いて佐助の方を向いた。
「用意してきたか」
「はい」
すっと懐から横笛を取り出して、言葉を続ける。
「ご要望はありますか?」
「うむ、りくえすとだな!」
りくえすと?と聞き返す佐助に幸村は南蛮の言葉でいう要望のことだ、政宗殿に聞いたのだと得意げに言う。
「だが、あまり音楽に詳しくないゆえ……お前が得意な曲でよい」
分かりました、と頷いて佐助は姿勢を正して正座になる。
そうして、そっと笛に唇を当てた。



佐助の笛の音だけが静かな夜に音を奏でていた。
他の音はしない、いやしていたとしても幸村の耳には届かぬ。それくらい佐助の笛の音は魅力的だった。
曲の名は知らぬが、耳に慣れた曲である。佐助がいつも奏でていたからだろう。心地よい旋律だ。
「お粗末さまでした」
佐助はぺこりと頭を下げる。
「俺は佐助の笛の音が好きだ、優しくてほっとする」
「有り難き幸せ〜ってな?世辞でも嬉しいよ」
幸村は佐助以外の笛の音を知らない。だからこんなことを言うのだと思う。
「俺が世辞を言えないということは知っておるだろう?」
「……」
「俺は佐助の笛しか知らぬ、これからも他の音を聞きたいとは思わぬ。佐助の笛があればよい」
何も言えなくなる佐助に幸村は言葉を続ける。
「今は、戦の最中ですから。そう簡単には笛を吹けないよ」
しのびは、そう言ってどこか寂しそうに笑う。幸村は彼のこういうところが好きでもあり嫌いでもある。いつだって、佐助は何かを諦めたように笑うのだ。
暫く沈黙が続いたが、やがて幸村が決意を固めたように頷いてから佐助をじっと見る。


「旦那?」
「俺は、お前の武器をいつか楽器にしてみせよう」
「……」
そんなの無理だよ、俺様しのびだものと呟く声が聞こえる。だが、それを気にするような主ではない。
「戦が邪魔であるのならば、俺が終わらせる」
「でも」
「過去の偉人が何故、物事を成し遂げることが出来たのか分かるか?強く思い続けていたからだ、安心しろ。思いの強さならたれにも負けぬ、無論兵としての強さも負けぬよう精進する。だから、いつか戦が終わったとき……また笛を吹いてくれ」
呆れたような、けれども嬉しそうに佐助は笑った。
「本当に旦那っていうお人は……」
「阿呆か?」
ことりと首を傾げながら尋ねてくる主に向かって、大きくかぶりを振り、再び唇を開く。
「日の本一の兵だよ、本当。信じてみようって気になるもの」
「信じてみよう、ではない。信じよ」
「……分かってるよ旦那、ついていくぜ」
旦那を守るのが俺様の役目だからね、としのびは笑った。







The world is mine.


- - - - - - - - - - -
ぼくのせかいはあなたのもの
夢とは砕け散るものよ…!
何が起きてもぶれない自信がおありの方は↑にお進みください