幸村は城下町に下りるのが好きだった。
民の様子を一番近くで感じられるし、何より自分で好きな甘味を食べることが出来るからである。
常ならば佐助に頼む使いも、今日はしなかった。
だんだんと肌寒くなってきたため、幸村は普段よりも多く着込んで町へ出る。
ケヤキが色とりどりに染まっている外堀を通っていく。時折落ち葉がさくさくと音を立てた。
しかし今日の一番の目的は甘味では無い。


先日、町を歩いていたときのことである。
貴方の秘密買います、とだけ書いてあった看板に幸村は不思議と惹かれた。
いざ入ってみればずらりと乱雑に巻物が壁いっぱいに並べられてある。
巻物ひとつひとつには名前が記されてあった。
何だろう、と首を傾げていると机の前に座っていた男がいらっしゃいと幸村に声を掛けてきた。
「あ……すまぬ、初めてなもので何がなんだか」
「看板は見たかい?其処にあるのは秘密さ」
秘密、と幸村は繰り返す。乱雑に置かれている一つを手に取ると、巻物ひとつ分にしては驚くくらい高値がついていた。
それくらい人の秘密というものは価値があるものなのだろう。
「此処には借金に困った人や、どうしてもすぐに金が必要な人が来るのさ。まぁ、たまにお侍さんみたいな方も来るけれど」
なるほど、と幸村は頷く。
「秘密を売り買いするのが流行っているのか」
「流行っているかどうかは分からんが、最近はめっぽう多くなってきたねえ」
ならば、と幸村は男の方へ身体を向ける。
民がやっているのであれば城主もやるべきなのではないか。
「某の秘密を買って下され」
「いやいや、あんたみたいに上質な着物を着ているお侍さんの秘密なんて買えないよ。額が違いすぎるだろう」
「ならば金はいらぬ」
幸村の言葉に男は驚いた表情を浮かべた。
金目的でもなく秘密を売ろうとするものなど、今まで見たことも聞いたこともなかったからである。
「某は上田城主だ、民のやっていることはなるべく多く経験したいのだ」
「なるほどなるほど、わかりました」
男はきっと幸村が言ったことを本当だと思っていないだろう、だがそれでいいのだと思う。
差し出された品の良い紙に筆を走らせる。
秘密などあまり持ち合わせてはいないが、ふと思いついたことを書いた。
(どうせ誰も見やしないだろう)
書き終わったものを手渡すと、男がその秘密に目を通す。
話によれば字を知らない者の場合は口伝えで男が書き記すようだが、自分で書ける者に関しては書いたものを見て品定めするのだという。
「こりゃあ一流の秘密だねぇ。一見、色事には興味無さそうに見えるけれど」
「うむ、如何様にしても本人には言えぬからな。ご主人に某の秘密を預かって欲しいのだ、だから値段は付けなくてよい」
「でもうちは一応商売だからねぇ、買った秘密は机に置かなきゃいけない」
こういう風にね、と男は机に置かれている巻物を指差した。
「買いたいと言うものがいたら、その者の秘密と交換にすればいい」
男は幸村の言葉を聞いて僅かに頷くと、分かり申したと笑う。
「お侍さんの秘密、確かにお預かり致しました」
「また来る」
きっと自分の秘密は此処で永遠に眠っているのだろう。
幸村が何処で果てようと、一番の秘密だけは上田に在る。そう思うと幸村は不思議と笑みさえ浮かんだ。




今日はその秘密を見に行こうと思い城下町に出た。
大きな通りから少し外れた路地裏に進む。
ひんやりとした空気が増したように感じる。幸村は口元に指を持っていきながら、はぁ…と息を吐いた。
白い息はまるで霧のようだと微笑む。
暫く歩くと、秘密買いますという看板が見えてきた。
此処が幸村の目的地である。
戸を引くと、ちりんちりんと鈴が鳴った。路地裏にある店は昼間でも薄暗い。
だからこそ人を引き付けるのかも知れないと思った。
「おや、お侍さん。いらっしゃい」
この間と同じ場所に男が座っていた。
確か幸村の秘密は男の前にある机の上にあったはずである。
近づいていくと、赤い紐が付けられた幸村の秘密が見当たらない。
はて、どうしたことだと思っていると男がにやにやと笑いながら話しかけてきた。
「お侍さんの秘密は買われてしまったよ」
「左様か!」
思っていたよりも早い、と幸村は驚きを露にする。
「いやはや、普通こんなに早く売れることはないのだけれどね」
男もこんなに早く売れるとは予想していなかったようだ。
「それならば、話は早い。某の秘密を買った者の秘密をくれ、いやただでなどとは言わぬ。金は払うさ」
幸村の言葉を待っていましたと言わんばかりに男は立ち上がる。
そして壁いっぱいに積まれた巻物の中からひとつを取り出して、幸村に手渡した。
「いつも秘密を買うばかりのお客さんだったのだけれどね」
「値は」
「ついていない、だから持ってゆけばいい」
手渡された巻物は、幸村が書いたものとは違い上質な紙とは言い難かった。
しかし、その手触りは何処か温かく感じる。
「あい分かった、然ればお言葉に甘えてこれは頂こう」
秘密を買うばかりの客とは、どのような人なのだろうか。
秘密を見ることが道楽の、何処かの大商人や良い家の姫かも知れない。
それとも秘密を持たない者かも知れない。
尤も、後者ならば幸村の秘密と引き替えに秘密を売るということは無いだろうが。
胸を踊らせながら幸村は紐を解く。そして中身を見た途端、表情が固まった。
「お侍さん?」
「いや……」
幸村は何も言うことが出来なくなってしまった。
その代わり今すぐにでも、確かめなければいけないことが出来た。
「この秘密の持ち主は、某の秘密を見たのだろうか」
「いや、いつもはすぐにでも開けるお方だけどね。お侍さんのは開けていなかったよ、少なくとも此処では」
なるほど、と幸村は頷く。確実に近い確信があった。
この秘密の持ち主はきっと、一人しかいない。それは自惚れではなく真実だ。
(……佐助)
そう確信すれば居ても立ってもいられなくなり、幸村は踵を返す。
「ご主人、世話になった」
それだけ言うと後は城まで駆けることに集中する。
佐助が良く買って帰ってきてくれる上田一美味しい団子屋も、美味しい餡蜜を馳走してくれる甘味処も通り過ぎた。
幸村の目的はただ一つだった。




上田城からさほど離れていない場所に忍び隊の小屋がある。其処の一室に佐助はいた。
こうして任務の無いときは、手裏剣を研ぐのが日課だった。
今日は珍しく幸村が使いを頼んで来なかったため、半日は休みなのである―無論夜からは仕事だ。
「佐助」
戸の外から聞き慣れた声がする。
幸村が此処に来るのは珍しいことだった。尤も、佐助が幸村の部屋に行くことは常なのだが。
「だ、旦那?」
すぱん、と襖が開いて主人が顔を出す。
走ってきたのだろうか、額にはじんわり汗をかいている。
「どうしたの?こんな所に……呼んでくれれば行ったのに」
「そのような余裕など無かったのだ」
焦った様子の幸村に佐助は首を傾げるばかりだ。
何かあったのだろうか、おやつは自分で買うと言っていたから今日は買っていない。
「ごめん、旦那。お団子は買ってこないと無いよ」
「違う、そのようなことではない」
ひどく真面目な表情で見つめられて佐助は困惑した。
「話があるのだ、佐助」
そう言って幸村は佐助の目の前に座る。
息を整えながら幸村は、常からは想像もつかないくらい落ち着いた声音で続けた。
手には巻物を持っている。
「お前に言わなければならぬことがある、きっとずっと言わずに終わるのだと思っていた。だが、言わなければならぬことなのだと気が付いたのだ」
見覚えのある巻物を直視することが出来なかった。どう見ても、己の秘密が書かれているものである。
「何故ならば、言わねば前に進めぬ。同じ場所で堂々巡りするだけだ、分かるだろう…佐助」
どかりと幸村が座りなおす。佐助は覚悟を決めてその瞳を真っ直ぐ見つめる。
「まさかお前と俺の秘密が同じものだとは思わなんだ」
幸村の瞳は巻物を燃やした炎のように輝いていた。




秘密


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respect:原田宗典「秘密」