上田の城下町から少し離れたところに、秘密屋と呼ばれている店がある。
その名の通り、人の秘密を売っているところで暮らしに困った者や懺悔がしたい者が自分の秘密を売ったり、逆に暮らしに余裕のある者がその秘密を見て楽しむなどをする場所だった。
佐助は何度か店を利用している。勿論秘密を売るのではなく、買う方だ。
秘密は巻物に記されてあり、違う紙でその秘密の持ち主が書いてある。
ゆえに、任務に役立つこともあるのだ。


秘密屋に入ると、戸につけられた鈴が鳴る。
明かりのついていない店内は薄暗く、どこか不気味な雰囲気を出していた。
乱雑に置かれた巻物は値札と、その秘密の持ち主が書かれている。
佐助は乱雑に置かれている秘密には目もくれず、男が座っている目の前の机に向かった。
そこは所謂、普通とは違う秘密を置いてある場所である。
それゆえ値段は高くなるのだが、任務に使うのは主に此処に書いてあるものだ。
忍びは、人間の気持ちまでは知ることが出来ない。
不可能を可能とするために補ってくれるのが、秘密屋の存在である。
勿論、標的となる人物が此処に秘密を売っていない可能性の方が高いのだが、零とも言えない。
そのため、佐助は任務を命じられると此処に足を運ぶことが常であった。


机の上に丁寧に置かれたそれらは、真田軍の武将のものや大商人といった身分の秘密である。
値は書かれておらず、男がその場で決めるのだった。
見た限り今回の標的は秘密を売っていないようだ。
佐助は息を吐いた。秘密を知ればそれなりに此方が有利になる。
それとも、それを恐れて此処を利用しなかったのかも知れない。
秘密が無いのであれば、これ以上居ても仕方あるまいと佐助は踵を返す。さっさと任務を終わらせて、主の元へ帰りたい。
今回の任務は武田信玄直々の命なので、幸村は関わっていない。
上杉との戦に関わるものだからかも知れないが、幸村は佐助が今何の任務に就いているかも知らないのだ(それは佐助が教えていないからである)。


「…ん?」
ふと目に止まった巻物は、他のとは全く違う紙で作られたものだった。
見た目はそんなに派手ではないが、見るだけで上質なものだと分かる。
他のとは違うところはそれだけではなく、巻物に秘密の持ち主のことは何も書いていなかった。紅い紐が映えたそれに佐助は目を奪われてしまう。
「ああ、お目が高い。それは他のとは違う秘密なのさ」
「他とは違う?」
佐助は巻物を手に取った。ざらりとした感触は良い紙である証拠である。だが、他のものと違うのは、持ち主が書いていないところくらいで他は見つからない。
「それは上田の殿様のものさ」
「……へ?」
男は佐助が真田幸村に仕える忍びだとは知らないはずだ。
佐助は思わず巻物を落としてしまいそうになる。
幸村のものだとは信じられないし、そもそも彼が此処に通う理由が見つからない。
しかし、もしこの巻物が真田幸村の秘密で、それが他の者の手に渡ってしまってはいけない。
胡散臭いが、絶対に幸村のものではない偽物だという確信はないだろう。
となると、これは佐助が買って秘密で処分するしかなかった。
「それはいくら?」
「何せ、殿様の秘密だからね。そうさな…いつも秘密を売らないお客さんが秘密を売ってくれれば考えるよ」
佐助は押し黙ってしまった。忍びは感情を持ってはいけないから、秘密も持っていない。
ただ、ひとつ浮かぶことはあるけれどきっとそれは幸村を守って死ぬまで誰にも言わないはずのものだった。
「秘密、ね」
佐助は口元に笑みさえ浮かぶのが分かった。
秘密屋の仕組みは良く分からないけれど、きっと自分の秘密に興味を持つ者などいない。
軍事機密に関するものならともかく、私情ならばさして問題もないだろう。
「分かった、その話飲むよ。紙と筆を貸してくれない?」




幸村の秘密は、やけに重く感じた。
他の者の秘密ならばその場で開けてしまうのだけれど、上質なそれは抱えるだけで精一杯で開けることすら躊躇する。
きっと、開けない方がいい。
開ければ後悔するに違いない。
主の秘密を見たいのはやまやまだったが、佐助の中の何かがそうすることを阻む。
「旦那の、秘密……」
真っ赤な紐が風になびいて揺れる。
紐を引っ張ればいいことなのに指が震えてしまって、動かない。
佐助は首を横に大きく振った。
そして、上田城とは反対にある森へと向かったのである。


ぱちぱちと炎が燃え盛る。
火遁の術で作った炎のせいで、顔が火照った。
まるで幸村の持つ紅蓮のようだ。それならば全て納得がいくと佐助は頷いた。
秘密は誰にも見られずにその人の元へ戻るものなのだ。
真田幸村の秘密はこうやって、炎の中に溶けていくのが一番いい。勿論、誰にも見られることなく。
秘密が気にならないと言えば嘘になる。
だが、佐助はそれを見る勇気が無かった。
佐助はもう一度大きく頷いて、紅い紐を解く。
そして中身を見ることなく、巻物を炎の中へと投げる。
炎の勢いが増す。これで良かったのだと佐助は誰に言うのでもなく呟いた。




秘密


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respect:原田宗典「秘密」