「さすけ、おるか」
もう夜もすっかり更けきった頃、まだ幼い主は天井に向かってぽつりと言葉をこぼした。
「いつでもおりますよ」
姿は見せず、天井越しに優しく問いかければ主は降りて来いと命じる。
何故とは言わない。
音も無く降り立てば、布団から起き上がって俯いている子どもがいた。
「弁丸様、どうなさいましたか?」
「夢を、見たのだ」
ああ、きっと怖い夢でも見たのだろう。
不安になって俺を呼んだに違いない。
「怖い夢ですか?」
「いや……だが、恐ろしかった」
ばつの悪そうな顔を浮かべて大きな瞳で俺を見つめる。
その瞳がどうも苦手だった。
何も知らないようで、何もかもを見透かしているような茶色い瞳。
やはり泣いていたのだろう、少し潤んだそれは暗くてもよく見える。
「俺は元服をして、おとなになっていた。まわりにはたくさんの兵がいた」
「いつか本当になりますよ」
それは嘘では無かった。
こんなに幼くとも彼は武家の子なのだから、いつかは初陣を果たし、戦に出て、時代を駆け抜けていくのだろう。
はたして、自分がその隣にいるのかは分からないけれど。
「だが、佐助」
言いにくいのだろうか。
言葉が見つからないのだろうか。
行き場のない指を無意識に動かしながらその言葉の続きを待つ。
「誰も生きてはおらぬのだ」
「……」
「辺りは不気味なほどに静かなのに、真っ赤に染まっていて」
鮮明に思い浮かぶのだろう、彼の顔が僅かに歪んだのがわかった。
「俺はその屍の上に立っていたのだ」


「そう気付いたら今まで熱く滾っていたのがうそのように、身体が冷えていくのだ」
ぎゅっと、細い腕で自分の身体を抱きしめながら話を続ける。
「戦になったらきっとこのように甘いことも言えないのだろう?」
「そう、ですね」
もう俺はとっくに戦忍として人を殺めて続けている。
それは彼も知っているし、その上で俺を呼んだのだろう。
だが、どうも理解出来なかった。
これが忍と武士の違いなのだろうけれど、俺は戦のときに『熱く滾る』などありえない。
彼は普段している鍛練のときから馬鹿でかい声を出して励んでいるので、きっと戦に出てもそれは変わらないのだとは思うけれど。
ひたすら前だけを見つめている彼には、世界はどのくらいの広さに見えているのだろう。
「弁丸様、戦のときは冷静さを失ってはいけません。まだ早いかも知れないけれど」
「よい」
「冷静さを欠けば必ず隙が生まれます、その一瞬の隙が命を落とすとも限らないのです。お館様だって、決して冷静さを失うことは無いのですから」
そう言うと、彼は何も言わなくなってしまった。
何を考えているのだろう。
いつもなら手に取るように分かるのに、今は全く分からなかった。
「…よく、分からぬ」
ようやく出た言葉は本当に小さな溜息に似た呟き。
「今はそれでいいのです。弁丸様にはまだまだ時間があるのですから、ゆっくり考えていけばいいのですよ」
「佐助が、」
「…はい?」
まさかそこに自分が出てくるとは思わず、素っ頓狂な声を出してしまう。
それはまっすぐとした、熱い感情を持つ瞳。
眠いからか、少しとろんとし始めているがその強さは変わらない。
「佐助がいれば大丈夫だ。夢の中では佐助がいなかったけれど、ここには佐助がいる」
そうだろう?と尋ねる主に黙って頷く。

「佐助が俺の冷静さになってくれる」
「……」
それでは意味が無いではないか、という言葉は喉の奥にしまった。
寝ぼけている彼に言ってもきっとわからないだろうし、朝になったら忘れてしまっているだろう。
さっさと寝かせなければ、また起きられなくなるのは目に見えている。
「分かりました」
ぽんぽんと頭を撫でて、もう寝てくださいと再び布団へと寝かせた。
「必ずだぞ」
「分かってますって。ほら、もう大丈夫でしょう?」
「うむ……俺が寝るまでいてくれるか」
勿論です、と笑って側に座ってやる。
熱いくらいの体温が冷たい身体に心地よかった。
「佐助は冷たい」
「え?あ、寒いですか?すいません」
「いい、心地よい」
うつろとした瞳は、頭を撫でていくうちに閉じていく。
幾分も経たないうちに穏やかな寝息が聞こえた。
「弁丸様の中で俺はずっと隣にいるのですね」
確信など全くないのにそう言い切れる彼が羨ましくて、疎ましい。
そう思いながら俺は毛布をそっと掛けなおしてやる。
障子越しに銀色の光が見えた。






眠れぬ夜にも、星の光が
あなたを照らしてくれますように



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お題をお借りしました…as far as I know