貴方を守りたい、ただそれだけなのです。






視界が紅かった。
ぽたぽたと垂れてくる紅がどうにも邪魔で手の甲で拭う。
もっとも、その手も紅く染まっていたので意味は為さなかったのだが。
黒い衣服のほとんどが更に深い黒へと変化している。
赤黒い血で染まった服を纏い、男は歩いていた。
目的の場所はただひとつ、主のところであった。

血のにおいを落とそうといくら身体を洗っても落ちることはない。
佐助は、いつもながら自分の纏うにおいに嫌気がさしながら目的の場所へ向かっていた。
平素、においをつけない佐助は自分ににおいがつくのが好きではなかった。
血のにおいなどもってのほかなのだが、仕事であるから仕方ない。
まだ時刻は子の刻にも回っていない。
いくらなんでもまだ起きているだろう、と思って佐助はそっと城の天井裏へまわった。


「佐助」
声をかける間もなく、気配を感じ取ったのか真下から声がかかる。
忍びの気配を感じ取るなどどれだけ獣なのだ、と佐助はこっそりと笑う。
「ただいま戻りました」
「降りて来い」
言葉に従い、部屋へ降り立つ。
主である幸村の部屋は香を焚いていないため、佐助のにおいだけが鼻孔をくすぐる。
「さすけ」
ぽつりと幸村が口を開く。
そのあとどうすればいいのかなど、分からない。
ただ、その名を呼んだ。
何も言わない佐助に焦れて、幸村はもう一度その名を呼ぶ。
その声は僅かに震えている。
血のにおいがこびりついている自分を心配しているのだろうと佐助は思った。
一介の忍びにすることではないと何回言っても聞かないのである。
「大丈夫、俺様の血じゃないよ」
「違う、そのようなことではない」
幸村が大きく首を横に振る。
血のにおいが鼻につく。
佐助は我慢出来ずにもう一度湯浴みをしようと、踵を返そうとしたがそれは叶わなかった。
なぜなら、幸村がその腕を掴んだから。
「旦那?」
「何処へ行く」
「……湯浴みをしてきます、血なまぐさいまま報告受けるのも嫌でしょう?」
構わぬ、と言いながら幸村は再び首を大きく振る。
「どうしたのだ」
「ちょっとへましちゃって。大丈夫、敵さんはやっつけたから」
「お前はそのようなことばかり心配する」
はぁ、とため息をついて幸村が笑う。
「俺が本当に心配しているのはお前のことなのだ」
おれはしのびなのに。
いつもなら当たり前のように出る言葉が出ない。
「辛かったであろう、血が嫌いなお前にこういう仕事をやらせてしまい…申し訳なく思っておる」
頭を下げる幸村を見て佐助は慌てた。
忍びに頭を下げる主なんて、どこにいるのだろう。
「やめて、やめて……!」
何もしていない筈の男が、何故か泣きそうな声を出して耳元で囁く。
ああ、頼むからそんな声を出さないでくれと佐助は思っていた。
自分と同じくらいの背丈のはずなのに随分と広く感じる背中に腕を回し、ただ眸を閉じて熱を共有しあう。
酷く、残酷な温かさだと感じる。
それでいてそれは、酷く心地が良かった。


人を斬ることも、血を浴びることも、仕事だから仕方ないと思っていた。
そして、この両の腕はもう既に真っ赤な血の色で染まっている。
けれど、いま、この瞬間に思うのだ。
この目の前の身体を抱きしめるためだけに、この腕があればいいのにと。

貴方を、貴方が生きているこの場所を守るために此処にいる。
そう思いながら佐助はぎゅう、と自分の手を握りしめた。


それ以外にはいらない、何もいらない